先週のブログでもご紹介した、UYU(うゆう)プロジェクトの追記です。
日曜日の午後3時半の開始。
会場は集落の人々でいっぱいでした。
映像とライブ音楽に乗せてのダンスパフォーマンス、そしてフランス人映像作家Xavier Dalotさんが平鹿倉を舞台に書き上げた短編小説の朗読の二部構成です。
舞台でのダンスの魔力、そして物語の奥行きまでは(私の筆などでは描写し切れないので)触れませんが、
たまたま開演前に散策した集落のありようは、直後に鑑賞したパフォーマンスの構成美と相まって、私に忘れ得ぬ印象を残してくれました。
その部分だけ皆様にご紹介いたします。(多少長文御免)
包み込むような、盛り上がるような緑の只中に集落はありました。
曇った空とアスファルト以外はすべて、山道の路面も石垣、家々の影までも全部が緑がかっています。
鹿児島市中心からほんの半時間ほどの距離というこの集落、山あいの平鹿倉はちょっと時計の針をとめた感じでした。
人々の暮らしもポツンポツンと距離感をもって点在している印象です。
時計の針を止めた「昭和」は、下の写真のこんなところにも(!)。
今回の会場の元々は学校だった敷地の片隅にあるコレ。
大阪万国博のこの国のあの頃の興奮は、薩摩半島の山間にまで。
さて、舞台が始まった時、
すべてのパフォーマンスは、スクリーン上に照射された集落の映像を背景に展開していました。
私が1時間ほど前にひとりで歩いた風景の中を、同じあぜ道を、森を、スクリーンの中では男女のダンサーが白い衣装で歩き、
そして眼前の舞台では同じ男女がこの土地の記憶を舞踊(と映像と音楽)で、全身の動きで紡ぎ出しています。
スクリーンの「虚」とリアル舞台の「実」は目の前で重層し、ふと私を惑乱させ、
いったい自分がいるのは現在なのか幻影の中なのか・・・一瞬わからなくなります。
眩惑する感覚。
このプロジェクトのユニークなところは、
集落の人々全員が、これら虚と実が混在する舞台(風景)のリアルな目撃者であること。
大都会の劇場での劇がすべて《虚構》を演じ切るとするなら、
今日のこの日の構成は、観客(下の写真)も舞台の遠景もこの空気もホンモノの平鹿倉なのです。
舞台で演じている人たちだけが、虚構。。東京から鹿児島からフランスから集まった集団。
その舞台を見終えた夕刻、会場でもある学校跡のひとつ道をはさんだ下に、プールが緑の水をたたえて残存しているのを見ました。
生徒たちがかつては嬌声を上げながら水遊びしていたことでしょう。
それは半ば森に呑み込まれようとしている、廃墟の予備軍でした。
地域活性化という、昨今では各地で大合唱させられているこの言葉を本日のUYUプロジェクトは
《人々の記憶》
《芸術》
《その土地の短編小説》
というこれまでにないスイッチで、違う手法で、新しい道筋を捜し出した稀有なプロジェクトに思えました。
この日の感動と、新しい手法の発掘に私は、強く拍手を送りたいと思いました。