先週の東京滞在。
ぽっかり空いた時間を、谷中散策と洒落てみました。
伏線は・・・リゼット広場にハモンドオルガンを寄贈いただいた友人からの
猛烈な秋波(ここまで進言されて見ないわけにはいかない的、オーラ)。
結果、
素晴らしかった。
たとえばこの谷中の、もういまでは「名所」とすらいえる
築60年の木造アパート、萩荘。
今ではカフェ、ギャラリー、そしてアトリエ事務所の入居する
アート空間に生まれ変わっているのです。
もとはといえば、陳腐な木造下宿アパート。
ただ、東京芸大の若者たちが一時シェアハウスに使っていたこともあって、
代々の彼ら学生達の「愛着」が、この建物を甦生させ、
それどころかアートの拠点にまで昇華させたのです。
粗末な廻り木造階段を2階にのぼる踊り場壁に、
ふと、こんな「貼り紙」を見つけました。(上画像)
’’私がこの「家」に棲み、
この場所で発見したもの、
その最大のものが、
他ならぬ今の私、そのものです・・・。’’
かごしま・名山町に
古いアパートメントを維持するレトロフト。
このフレーズ、
儚(はかな)げな和紙に描かれた英文字は、
古代のローマ人たちがパンテオンの大理石に刻んだ「ラテン語碑文」のように
往時の学生から私への、檄(げき)として、
どっしりと、
私の心に刻まれました。
《追記》
英文にあります Massive Ego(大きな自我)の出典がわからずに、
それで友人=ハモンドを寄贈してくれた人に尋ねたところ、
こんな「予想」を寄せてくれました。
『・・・・よく分かりませんのですが、推察いたしますに、
マッシブ・エゴはニーチェの「ツァラストゥラはかく語りき」で語られた、
全能感を伴うような「肥大化した自我」と解釈するのが順当かなと思います。
「肥大化した自我」は、ユングの学説で有名となった用語ですね。
もとより、この詩は萩荘での学生生活を振り返り慨嘆したものでしょうから、
おそらく自意識過剰に陥って暮らしや作品制作が思うにまかせなかった、という嘆きを、
学生らしい言葉づかいでもって一篇の詩にしたためたもの…かもしれませんね・・・・』
嗚呼、ありがとう友よ!
感謝、Ken!!
己の欠落を知らしめて教えてくれる友がこうやって
自分のすぐ近くにいてくれることの・・・この幸せよ!
↓ 大きな窓から望むお隣の風景は、卒塔婆の立ち並ぶ谷中の典型的な「墓地」風景。
そこからインスパイア(触発)されたであろうインスタレーションの数々。
ここでは墓地すら、カッコイイでした。
