先週の9月18日、金曜市の出店のために
湧水町栗野の上水流 達郎さんの農園にブルーベリーを摘みに行ってきました。
ちょっとその時のおはなしです。
その日は抜けるような青空でした。
朝の2時間、栗野岳の麓の澄んだ空気、青い空と白い雲とブルーベリーの実だけに染まって、
まこと心洗われる2時間だったのです。
ここで「心洗われる」と書きましたのは、
ものの表現ではなくホントウなのです。
ひとつひとつ実を摘む、という一連の動作のなかで・・・最初はまあ次から次へと
自分のこころの中の《煩悩》が浮かび上がってくるのです、アラ不思議!
まず第一に、この大量のブルーベリーの実も、
自分たちが全部摘んでしまわねば、タヌキやムクドリに横取りされてしまう、
それは口惜しい、許すまじ、という人間上から目線の《独占欲》が発露しはじめます(笑。
そして次に、
よく熟れた大きな実を選んで摘んでくださいね、と親切にアドバイスいただいたのに、
だんだん慣れてくると、
「えい、ちょっとくらい小さくて酸っぱい実があってもいいわい」
と思ったりする《怠惰な欲》。
それは次第に
「酸っぱい小さな実も完熟の実もいっしょくたに摘んじゃおう!」
「そうすれば効率的だし、グラム売りの歩留まりもよくなってぬれ手に粟じゃ!?」
などとはしたない方向《=金銭欲》へとエスカレートしがちなのです。
(ああ、なんという正直な心の吐露!)
で、今度は脇で摘んでいる妻の籠にふと目をやってみれば、
心なしか私より手早く、私の摘んだ実より大きいような気がする!?
そうなると今度は「競争心と妬み」&「女に負けてなるものか=ジェンダー」が湧いてくるわけです。
嗚呼!
農のひとときは、
自分の心の闇、不正な欲望をサラリと白日のもとにさらけ出し、
でも農の作業の心地よい疲れとともにそれはいつしか
清らかな摂理に矯正されていく・・・
赤いブルーベリー汁でズボンを染めながら
そのことに深く感じ入ったのです。
レトロフトにかかわる人々で、
「農」にかかわる人たちの誰もが、
まっすぐな目、澄んだ目、どっしり安定した精神をしていることの、
その背景と本質が・・・・なんだか、私にはわかったような気がしたのです。
追記:まこと、妬んだり争うべきは妻やたぬきやムクドリではなく、
感謝すべきものが自然でありその恵みである、と学びました。
p.s…ご安心ください、私は煩悩のひとつひとつにみごとに打ち勝って、
選ばれた大きな実だけを丁寧に摘んで、翌日の市に自信を持って出荷いたしました!
