「石垣は 弾痕とどむ 母子(ははこ)草」
そう、水原秋桜子が詠んだのは、
鶴丸城向かい、私学校跡石垣の銃弾痕を見てでした。
う~む。
あちらが西南戦争の激戦のあとなら、
こちらは
ニッポン高度経済成長期の痕跡。
看板をなんども付け替えつつクギを打たれ風雪に耐えてくれました。
でも不思議!
半世紀前に焼かれたタイルは、今出来のものと違って疵がさらにひろがることはありません。
これまで数回建築診断士に壁の耐久性も見てもらったのですが、
改修の必要はないみたいです・・・と建築士自身がくびを捻りながらの回答を出してくるばかりだったのです。
マッチョなタイル!
↓ 横浜外国人居留区のべーリック館の浴室タイルも、実際この上を靴で歩いてみてその肉厚さと硬質さが足裏にジュワッと伝わってきました。明治や昭和のタイルは100年平気なのに平成のタイルの虚弱さはいったい!