鹿児島銀行旧本館

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100年の歴史を鹿児島の街に刻んだ名建築がこの11月に解体処分されることが昨日の地元紙の記事でも最終報告されました。

今日、2016年10月29日午前11時30分よりレトロフトにて、その文化的価値を多くの人々と共有しあうミニレクチャーと見学会があります。(講師はミュージアムプロデューサーの砂田光紀氏)

私の心には昨年の10月29日が去来していました。
丹下甲一元鹿児島県副知事が逝去されて、結果的には追悼のコンサートとなった「伝統の身体・創造の呼吸〜薩摩琵琶とともに」の開催日が昨年の今日。薩摩琵琶の伝統を滅びさせてはいけない、、、、副知事職を辞し東京の総務省に戻られてから丹下氏は一昨年の秋、電話口で私にそう強い口調で語り、そして現代音楽とのセッションという前代未聞の演奏会開催までの諸事を私に託されたのでした。

薩摩琵琶の「伝統の存続」を見据えた元・副知事構想による演奏会の実現、
鹿児島銀行旧本館の建築としての価値を訴える見学会の日と重なったことが、偶然とは私には思えないのです。

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建築全ての廃棄が決定した今、もう隠す必要もなくなりました。

実はレトロフト有志による、鹿銀旧本館装飾石材の救出というプロジェクトが水面下で進行していました。(いよいよ解体が避けられないと思われたこの10月初旬からのスタートでしたので、如何せん開始が遅過ぎたのが悔まれます)

昨年の薩摩琵琶とのメモリアルコンサートの運営のことで、私はわずかに鹿児島銀行首脳陣との細いパイプがありました。というのは、大きな金額の助成金をその財団から頂いたのです。

さらには、「表には出られないけど」と前置きしながら鹿銀トップと私を強固につないでくれる医療・経済界の有力者も私の近くにいてくださいました。

昨年受けた金銭的助成を・・・・金額としてはほぼ同額、昨年の恩義そのままに私が同額の資金を、石材救出のために拠出することにしていました。
価値ある最低限の石材だけを解体前の銀行本体から切り離し、クレーンでおろし、そのまま大隅・花の木農場の敷地内に期限を決めずに保管する。

そしていつかは未来の鹿児島銀行に「無償で返還する」、それが内々に私たちの取り決めた約款でした。
それらは完全に水面下でのプロジェクトでした。

hananokifarmLab(白鳩会花の木農場)の中村隆一郎氏と私の二人が発起人でした。
そこに鹿児島銀行側は、当初3人の専任スタッフをあてがってくださいました。うち二人は一級建築士の資格もお持ちでした。

さらには、
旧鹿児島県庁本館の曳き家(ひきや)工事でも経験をつまれた株式会社大城の大城仁氏も協力くださり、徹夜でその工事計画書を作成し鹿銀側に提示し、私たちは11月中旬に「最低でも屋上にあるエンブレム+(可能なら列柱まで!)」を、本格解体工事の直前に独自の作業員で救出する手はずまで、合意を得られていたのです。大城氏の陣頭指揮での工事に。

・・・・わかりやすく言うと、「捨てるならくれろ」。多少荒っぽい言い方ではありますが、保存論で攻めるより可能な限りの《緊急救出》を自己資金で果たそう、そして数十年後に鹿児島銀行の人々が失ったものの価値に気付いた近未来には無償で返還しよう・・・・それが私たちの作戦でした。

ところが事態は思いがけず断ち切られました。
10月14日に突然鹿児島銀行に招かれた私は、そのプロジェクトの中止を告げられました。

その本当の理由は、詳しくは説明はありませんでした。
ただ、その鹿児島銀行の担当者の苦しげな表情からその苦渋の背景を察するしか手はありませんでした。それは・・・作業員の安全が確保できないことへの、鹿銀側の判断でした。

本来の解体チームと違う系列の、私が手配した作業員が、解体という最も危険な作業時期にほんの2〜3日間だけでも参入することの違和感、そして解体中に発生するであろう粉塵その他の有害な素材への危惧。。。

さて、お話が長くなりました。
市民に愛された文化財ともいえる建築が、まもなくこの場所から跡形もなく消え、ごくごく近代的なビルに変貌します。
もっと美しい手段があったのではないかと、、、ただただ悔やまれるのです。

↓ 戦後に建てられたザビエル聖堂は一時期、解体された建築材はここ花の木農場の敷地内に保管され、その後福岡県宗像市に再建されました。現在も、明治期にあったザビエル初代聖堂の石材は同じく花の木農場で守られています。
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