今朝、
知り合いの青年から一枚の画像が送られてきました。
私の実家だった旅館が、美術館の音声ガイドで紹介されている、、、と。
※梅原龍三郎氏が投宿先の私の実家の旅館からの桜島の絵を数点残しています。
現在、鹿児島市美術館で開催中の《梅原龍三郎展》の音声ガイドでそのことが案内されているそうです。
私自身と、「伝統の身体・・・」とのかかわりの物語を
このたびの第四話とさせてください。
私の父、レトロフトのビル(千歳商店)の創業者は、
かつて旅館も営んでいました。
西郷終焉の地すぐ近くあった、岩崎谷荘(いわさきたにそう)という宿です。
幼少期、私は女中さんから聞かされていました、
西郷さんな(は)、
そこん大玄関前で流れ弾にあたいやって、
そいでけしんみゃった(死んだ)、と。
なので、アコーディオン奏者のフッソングさんがタクシーの運転手さんから聞いた物語、
岩崎谷の洞窟で西郷が戦いのさなか、新田新八の奏でるアコーディオンを聴き、
その脇には薩摩琵琶も置かれていたという史実に、私も驚かされたのです。
今年の春、私たちは薩摩琵琶の上川路直光氏に出演受諾の交渉の真っ最中でした。
人前での興業的な演奏を戒める、伝統の薩摩琵琶界。
戒律と私たちとの狭間で思い悩む上川路氏。
その上川路氏思いがけず相好を崩して、出演にこころ向かうきっかけとなったもの
それが私が薩摩琵琶の歌枕、岩崎谷ゆかりの者であるという来歴でした。
この逸話から上川路氏が出演を受諾してくださったというわけではありませんが、
このたびの演奏会の出演者全員は
「縁(えにし)」のなかで結ばれ選ばれている者同士だと、、、
思い知らされる出来事でありました。
