

三味線や津軽三味線などのように
近隣の家から、あるいは日常的な演奏会場から薩摩琵琶の音が流れてくる、、、
そんな風景は、実はここ鹿児島ではほとんどないことです。
なぜ?
それは、島津藩の時代から琵琶は武士の修養課目とみなされて、
気軽に人前(特に酒席)や、さらには入場料をいただいてのホールでの演奏が禁じられていた(る)から。
己の精神と向き合うための道具であるべしという思想が根底にあって、
なので
「薩摩琵琶は音楽でもなく、また芸術でもない」
と薩摩琵琶界の人々は自分たちのことを断言します。
孤高の領域、それが鹿児島の薩摩琵琶なのです。
そんな歴史を背負う中で、
薩摩琵琶弾奏家・上川路氏にとって、現代音楽家と同じ舞台に立つという
私たち主催者からの出演依頼は、実は相当に苦痛であったはず。
(その過程の描写は、、割愛致します。苦労話ですので)
ただ、ちょっと下の画像をご覧ください。
ペルシャ起源のウードが東に伝播して薩摩琵琶へと変貌をとげ、
昨年、この2つの兄弟楽器がレトロフトで再会しました。
聴衆のひけた会場でこっそり二人の演奏家を引き合わせた私の前で、
薩摩琵琶の上川路氏とウード奏者の加藤氏は思いがけず、
即興の大音量セッションを轟かせてくださいました。
この豪華な音の渦に包まれながら、私には、ある近未来の風景が見えたのです。
上川路直光氏は、
歴史の重き長櫃の中から《薩摩琵琶を未来へと》牽導する重い責務を担わされた人物・・・
にちがいない、と。